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大村おえん
洗礼名:ドンナ・マリア
日本最初の大名「大村純忠」の正室(妻)
当時キリシタンの盛んだった大村藩は病院の世話や海賊からの奴隷解放の手助け、らい病患者の為の病院作り、孤児院設立、貧困や老人を助ける為寄付金集めなどをしていました。おえんは弱者のために中心となって活動していました。
純忠には4人の側室がいました。当時の大名は側室が何人もいることは当たり前のことでした。豊臣秀吉の側室は15人、徳川家康は20人を越えていたそうです。
純忠は洗礼を受けたにも関わらず側室を持ち続けました。当時は戦力争いの世の中でした。洗礼を受けたきっかけも外国の知恵や武力の為にあったようです。しかし次第にキリシタンの純粋な信仰心を持ち始め、おえんも洗礼を受けたことを機にカトリックに基づく結婚式をあげ一夫一婦制を守り続けました。
純忠の死後1614年の禁教令後キリシタンは迫害を受けるようになったがおえんと長女マリナ伊奈、長男の喜前の娘と一緒にひそかに信仰を守っていきました。大村高等学校の新築工事の際、大村家家老である宇多氏の墓からスペイン製のメダリオンが発見されました。これは16~17世紀に伝来した物で類品は東京国立に2枚、大浦天主堂に1枚しか残っていない貴重な物です。これを墓に入れたのがおえんではないかと言われています。
残念ながらおえんの絵や像などは残されていません。
宣教師は彼女を「心正しく知恵のある人」と賞賛したそうです。
残っている資料から想像すると、さぞかしお美しく、強く、そして優しかったのではないかと思います。
参考資料
キリシタン武将としての黒田官兵衛: 「軍師」官兵衛の実像 天の巻(中巻)
長崎助成し研究会著 長崎の女たち
フロイス日本史
キリシタンになった大名

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