top of page

信徒発見150周年
1865年3月17日に大浦天主堂で禁教令から250年も潜伏していたキリシタンが発見されました。
キリシタンは酷い弾圧や迫害を受け日本にはキリシタンは残っていないと思われていました。江戸幕府はペリー来航後1852年に鎖国政策をやめ開国を決意しました。日本国内に外国人居留地を設けそこで信仰の自由を認めました。パリから神父が来て外国人居留地である大浦にフランス寺を建設しました。神父は日本にはまだキリシタンはいることを信じて教会の正面に漢字で「天主堂」と書き記しました。
浦上のキリシタンは代々3つの伝承を伝えてきました。
1:七代経ったらパードレ様がローマからやってくる。
2:そのパードレ様は独身である。
3:サンタマリアの御像を持ってやってくる。
天主堂にはフランス製のサンタマリア像が安置されており、浦上のキリシタンの間で御像があると噂が広がりました。当時、信仰の自由は居留地の外国人だけで日本人には認められていませんでした。しかし天主堂の見物は認められいたようで、珍しい洋風の教会に多くの市民が見物に来ました。市民に紛れてやってきた一人の婦人が神父に向かって
「ここにおります私共は、全部あなた様と同じ心でございます。」
「サンタマリアの御像はどこ?」
自分たちがキリシタンであることを打ち明けました。
この出来事を信徒発見と言われます。
サンタマリアの御像が来日して多くの教会が長崎に建設されマリア像が見守っています。信徒発見150周年を間近にして下の資料が教会で配布されました。何気なく見ていたマリア像ですがこんな比べて見るとここまで多種多彩だと気づきました。色が付いたもの付いてないもの、冠が付いたものや衣装に装飾が施されたもの、それぞれの時代やそれぞれの国や作者でマリア様の美しさや優しさを表現しています。
この資料を見て母が「自分のマリア像を作りたいね」といいました。
それを聞いて面白い事を考えました。
詳細は後日(^▽^)




bottom of page