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キリシタン

 キリシタンとは元々ポルトガル語のCrisão(キリスト教徒)からきた古語である。漢字で吉利支丹と書くが禁教令以降は侮辱を込め「切支丹」などと漢字が当てられるようになった。

 

 16世紀、マルチン・ルターにより宗教革命起こった。その引き金となったのは1515年当時の教皇レオ10世がサンピエトロ大聖堂を建築する目的で贖宥状を販売したことである。本来罪の許しに必要なのは秘跡であり、金銭により罪の許しを貰えるという考えに議論を呼び、批判が多かった。ルターはローマ教会に抗議をし論題を打ち付けた事を宗教革命と呼ぶ。これ以降脆弱したカトリック教会を回復させる為ヨーロッパだけでなく世界中に宣教活動を行い宣教師を派遣した。フランシスコ・ザビエルはその一人で、インドと日本に宣教活動を行った。日本のキリシタンの歴史は1549年ザビエルが来航したことから始まった。ザビエルは最初鹿児島に上陸し領主島津貴久と謁見した。、島津家は代々貿易が盛んであった為快く歓迎され島津藩で布教も許可された。日本全国で布教することは天皇への謁見が必要だと考え島津に相談するが叶えられず、かわりに平戸を勧められ渡航した。平戸領主も快く財日エルを歓迎し平戸藩でも布教活動を行った。1551年天皇に謁見する為、京都へいくが謁見することはできなかった。旅の途中で日比谷了珪、京都で教会活動をしていたヴィレラと出会い山口へ行った。領主の大内義隆に謁見し山口での布教も許可された。この時に元琵琶法師のロレンソが入信した。この情報を得た豊後領主の大友義鎮がザビエルを招き、布教の許可を与え自ら入信した。ザビエルは布教活動をインドに移し、トーレス神父、フェルナンデス修道士が引き継ぎに日本の布教活動は継続された。

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